—映画『KIDS』を初めて見たのはいつ頃ですか?
江川”YOPPI”芳文(以下、YOPPI) 何年に公開でしたっけ?
―1995年です。
YOPPI じゃあ、1995年だ。
―当時、この映画を見た時は、どんな印象でしたか?
YOPPI 割とそのまま。僕はニューヨークに1993年から行っていて、1994年には買い付けを始めていたので、Supreme周りにも良く行っていたんです。『KIDS』に出ているほとんどの子たちが、当時のSupreme周辺にいましたし、ラリー・クラークが、その時の雰囲気をそのまま切り取ったという感じがしました。
―限りなくリアルに近いドキュメントを、ラリー・クラークが撮っていたということですか?
YOPPI そんな聞こえがよくないくらい「そのまま」を撮っていた気がしますね。ラリー・クラークはSupremeの店の裏辺りに事務所を持っていて、そこに子供たちが遊びに来るという感じでしたから。
―実際に90年代当時のニューヨークで過ごした時間は、どんな感じでしたか?
YOPPI 僕も向こう(ニューヨーク)にいる人たちも、今と昔で生活はあまり変わらないんじゃないかと思います。時代が進んでも「変わってない」という感じがしますね。だから、Supremeの『“BLESSED”』(2018年にSupremeからリリースされたスケートボードビデオ)とかもそうだけど、ちょっとだけ『KIDS』を彷彿させるシーンが出てくるんですよ。『KIDS』を見たことある人だったら、フラッシュバックするというか。
―YOPPIさんがニューヨークへ行き始めたのは、何歳の頃ですか?
YOPPI 21~22歳くらいですね。ニューヨークへは、買い付けに行っていたんです。その前までは、アメリカにはスケートボードのために行っていたんですけど、その頃は西海岸でした。だからニューヨークへ行くようになったのは20代に入ってからです。当時のスケーターは、西と東の対立もあったんで、ファッションも全然違いましたね。
―東西で対立していたんですか?
YOPPI スケートボードの歴史を掘り下げるとするじゃないですか。「どこが発祥なのか」とか。東海岸にも、LOVE PARK(90年代後半にスケートスポットとして世界的に有名になったフィラデルフィアの公園)とか、有名な場所は色々あるんですけど、西海岸の方が最先端だったんですよね。東海岸は、ようやくスタイルが出来始めたばかりで、例えば、洋服のブランドならTRIPLE FIVE SOULやSupremeが出始めた頃。でも、東のブランドを着て西のロサンゼルスへ行くと、指さされちゃうみたいな(笑)。
―逆に、東海岸のスケーターは、西海岸のものに対してウェルカムだったのではないですか?
YOPPI またややこしいのが、スケートボードで西が強くても、ヒップホップは東のものが人気あったから。ダボダボのヒップッホップスタイルとかもあったし、そういうのがグルグルしているのが、丁度90年代だったんです。
―YOPPIさんが、スケートボードで初めて西海岸へ行ったのはいつですか?
YOPPI 15歳の頃ですね。ベニスビーチへ行きました。大会に出たのは16歳の頃。80年代後半に一度、ジョージア州で大会に出て。まあ今の時代は、日本の子がチャンピオンになっちゃう時代だから! いや、もう恐ろしいですよ。
―『KIDS』が公開された90年代は(ハロルド・ハンターの所属していた)ZOO YORKがスタートしたりと、ニューヨークのスケートボードシーンが徐々に確立していった時代でもありますよね。
YOPPI 西と東で、スケートボードの使い方というかスタイルが決定的に違かったところが面白くて、それを、ZOO YORKのビデオで見ることができました。当時は今ほど情報が無かったんですが、東海岸のシーンは、ZOO YORKとかフィラデルフィアの影響が大きかったですね。
―『KIDS』の中で、思い出深いシーンはありますか?
YOPPI 万引きするシーンがあるじゃないですか。それを間近で見たことがあるんです(笑)。もう時効なので話しますが、映画に出ていた友達が東京に来た時、彼らのパンツは、とにかくブカブカで、ここ(裾部分)がキュッと締まってたんですよ。映画のシーンそのままでしたね。今の子はパンツがタイトなので、できないんですけど(笑)。
―ファッションに関して、『KIDS』の出演者はXXLやXXXLのような、今よりさらに大きいサイズの服を着ているイメージがあります。
YOPPI 今は僕は、インチでいうと34とかを履いていますが、その頃は、(ワークウエアブランド)Dickiesでも40以上を履いていました。当時、スケートボードシーンでは「40’s(フォーティーズ)」って言って、40インチオーバーのDickiesなんかを、みんなで履いていたんですよ。それで(プロスケーターの)トミー・ゲレロは、FOURTIESっていうブランドを始めたりしていましたしね。それで「ループ飛ばし」と言って、靴紐をベルト代わりに、ベルトループを何個か飛ばして履いていました。Dickiesって、(シルエット的に)ちゃんと履かないとスケートボードできないんですよ。今は、ジャストサイズで履いて股下はすごい上げて履いているでしょ。あれ、スケートボードが(足をしっかり動かさないといけないため)、普通に履かないとできないからなんです。でも昔は太いのが主流だったから、自分に合うサイズを探そうとなると、Kマートへ行くしかなかったんです。Kマートはサイズのレンジが広かったんで、そこで40インチオーバーのやつを探しました。
―『KIDS』の中で、好きな俳優はいますか?
YOPPI 亡くなってしまったジャスティン・ピアースは、(アパレスブランドの)Sarcasticの広告にも出ていましたけど、凄く良かったです。あと4人のメインのうち左上の人(ロザリオ・ドーソン)は、今もいろいろな映画で見かけますが良い女優さんですね。
―ラリー・クラークは、『KIDS』を撮り始めた47歳からスケートボードを始めたと聞きました。YOPPIさんも、そろそろ当時のラリー・クラークの年齢に近づいていると思いますが…。
YOPPI そうですね。再来月には、ラリーの年齢になりますね。ヤバイ、ヤバイ。
―もしラリー・クラークが日本を舞台にした映画を作っていたら、きっとYOPPIさんをスカウトしていたと思います。
YOPPI 実は、当時の映画の公開記念に合わせて、ラリー・クラークが日本へやってきたことがあったんですよ。その時に、パンフレットか何かの付録の与太話を補足的な感じで載せるということで、僕とケニー(T19 Skateboards所属のスケーター/カメラマン)とラリー・クラークの3人で、原宿の街を歩いたんだよね。何を話したか全然覚えていないんですけど、とにかくラフォーレ原宿ら辺をグルグル回って。で、当時僕が持っていたPKGのポシェットを「カメラを入れるのにどうぞ」ってあげたら、ラリーが喜んでくれて。そんな感じをパシャと写真に撮って、そのパンフレットの付録かなんかに載ったのかな?
―改めて『KIDS』を観てみると、ラリー・クラークは、AIDSのような社会的問題もしっかり題材にしていると感じました。
YOPPI AIDSの話って、日本でも時々話題に上がることありますよね。例えば、SNSとかで都市伝説的に「女子高校生の5人に1人はAIDS」だとか。話は変わるんですけど、当時、ニューヨークには『KIDS』、ロンドンには『トレインスポッティング』があって、このふたつが(ストリート映画の)二大巨頭だったんですよ。僕は『トレインスポッティング』を観ても「気持ち悪い」みたいなだけで、(主人公が幻覚作用で)トイレに入っていくのも「意味わからないなあ」って感じだったんです。『KIDS』は、なんか生々しいというか。どちらも生々しいですけど、その「生」感のポイントが違ったんですよね。
―その他に『KIDS」の好きなポイントはありますか?
YOPPI なんせジャケがいいですよね。オシャレ。4色の。当時の撮影シーンをラリーが撮ったポラロイドの写真があって、その写真でTシャツを作ったことがあります。
―『KIDS』以外に、ラリー・クラークの作品は見ましたか?
YOPPI いや、そんなに。僕は自然に入ってくるのしか見ないから。当時、『KIDS』は自然に入って来て、自然にラリー・クラークに会った。だから、『KIDS』は、何年かに一回のペースで、僕の中に回ってくるんですよ。もう20年以上経ってますからね。でも、あれが20年以上前と考えるとゾッとしますよね…(笑)。「自分は全然変わってないじゃないか」っていう(笑)。映画に出ているSupreme周りにいた人たちも、きっと、あまり変わっていないんじゃないかな。
― 『KIDS』と言えばユースカルチャーがテーマになっていますが、YOPPIさんはアパレルブランドやスケートボードを通じて、常にユースとの接点がありますよね。
YOPPI PLUS by XLARGEとか、若い子に向けたブランドで働いたりしているんで、若いスケーターは、常にエロい眼(まなこ)で観ているんですけど(笑)。
―その点は、ラリー・クラークと一緒ですね。
YOPPI そんな調子には乗ってないですよ。乗ってないですけど、若い子は見ています。難しいですよ。10代の子に「おーい!」とか声かけるわけですから。ほぼ犯罪(笑)。「洋服あげるから、おいでよ~」って(笑)。
―でも、「今、この子に着せたら、今、この子に出てもらったら」と思える直感が、YOPPIさんの嗅覚じゃないかと思います。
YOPPI なんかその微妙なラインだよね。今、スケートボードのマーケットは、「オリンピック」になってしまったから、僕らの時代なんかとは桁外れに違うんですよ。そんな状況でも、僕自身はスケーターだから、今の子ともフェアに付き合いたくって、お金で釣るのではなく「服あげるから着てもらえる?」っていう。で、たまにスケートボードのビデオを撮る時に「協力してよ」って感じでね。だけど、今の若い子たちは、真面目なんですよね。
―アスリートとしてのスケートボードシーンが、もう出来上がっているということでしょうか。オリンピックを目ざしているスケーターたちは、『KIDS』のような映画に関心が無いと思いますか?
YOPPI シーンはしっかりできていますね。かといって、彼らが興味を持たないということでもない。だから僕は、そういう子を嗅覚で探すというか。そのグレーゾーンにいるようなスケーターを見つけています。個人的には、いかにも「スポーツ」みたいな感じが好きではないですね。もちろん「スケートボード」という時点で、上手い子は好きです。だけど、スタイルというか、アティチュードというか、理屈抜きで「おお!」って思えることが大事だと思っているんで。
―注目している若手スケーターはいますか?
YOPPI もちろん何人かいますよ。自分は地域密着型だからローカルを応援したいので、地元の駒沢のスケーターを応援しています。今は、スケーターが(テレビ番組の)「テラスハウス」に出るような時代でしょ。それに、YouTuberみたいなスケーターも出てきてるわけだし。めちゃめちゃ面白いですけどね。上手な子はいっぱいいるんで、そういう子たちを応援していくって感じですかね。
―ハロルド・ハンターの所属していたZOO YORKを含め、ニューヨークのスケーターと言えば、どんなスタイルですか?
YOPPI ZOO YORKは、どちらかと言うと(ボードを跳ねてジャンプする)オーリーな感じじゃないですか?街を流しながらカーブもやるんですけど、なんていうんだろう、(建物の壁にアプローチする)ウォールライドな感じがしますね。当時は「ねちっこい」ウォールライド、そんな感じだった気がします。なんせ、当時は西に上手い人たちが沢山いましたから。東の人たちは毎日スケートボードに乗っても西海岸にはかなわないから、バイブスを出すしかない。そこまで考えてるのか、天然なのかは分からないですけど、そういう意味では「ねちっこい」。いつの時代もFAMEと、その中間と、LOSERがいるから。そのバランスですよね。でもスケーターの世界では上手い奴がやっぱり一番だから。ただ、今の時代の大会で優勝したスケーターが、(スケートボード雑誌の)「THRASHER MAGAZINE」でスケーター・オブ・ザ・イヤーを獲れるかと言ったら、きっと獲れない。どっちがスケーターの中でFAMEかというと、多分、スケーター・オブ・ザ・イヤーの方がみんな取りたいんじゃないかなって。
―スケートボードは「カルチャー」ありきのものですので、今の若い世代のスケーター達にも、ストリートカルチャーに影響を与えた『KIDS』をぜひ見てもらいたいと思います。ところで、YOPPIさんご自身、映画を作ってみたいと思ったことはありますか?
YOPPI 急に!(笑)。どちらかといえば、これまでは出る側の方でやってきたんで。やるなら、僕は、キャスティングや場の雰囲気を盛り上げたりする役がいいんじゃないですか?
江川“YOPPI”芳文
アパレルブランド「
Hombre Niño」ディレクター、「
PLUS by XLARGE」デザイナー。スケートチーム「
T19」に所属する日本を代表するスケーター。